2011年4月29日金曜日

環境問題の本質について(メッセージ54)

環境問題の本質についてお話したいと思います。

皆様が暮らしておられます地球の環境についてでございますが、皆様がほんの少し間違った行動をとられたからといって壊れてしまうようなものではございません。
皆様が、怪我をしたりウィルスなどにより病気になるのと同じようなもので、回復することは可能なのです。

皆様は人間とそれ以外のものを別々に考えてしまう傾向にあるようですが、この世界に存在しているものは皆同じ法則の下に成り立っているのです。
当然、皆様に当てはまることは地球そのものにも当てはまるのです。
よって、現在問題とされている事柄は地球の因果の結果であり、もし消滅するのであればそれは地球という一つの生命体の問題であり、皆様がどのような努力をしたところで回避することは出来ません。
とは申しましても裏を返せば、皆様ご自身の因果の結果とも繋がるのではございますが。

因果というものは複雑に絡み合い、それぞれに影響を与え合っておりますので、皆様とは無関係とは言いがたく、その環境に置かれているという意味について考え行動してゆくことは、大変重要になってまいります。
ですから、皆様が環境に関心を向け、改善を試み努力してゆくのはとても重要なことですし、これからも暮らしてゆく上で必要なことなのですが、それが過剰になってしまいますと弊害が生じる結果となりますので注意が必要です。
単純に科学技術を手放せばよいという問題ではなく、バランスを保つ努力というものが必要になってまいります。
試行錯誤を繰り返し、地球とそこで暮らすあらゆる生物にとっての『良い加減』というものを見つけ出す必要があるのです。
ここを勘違いなさいますと霊的成長を阻害してしまう結果となりますので、注意する必要があります。

これは地上界を含めました霊界全体に言えることなのですが、目的はあくまでも霊的成長であり、今の状態を維持し続けることではないのです。
皆様を取り巻く環境や状況は日々刻々と変化し続けているのです。
その中にあって、どのように考え行動してゆくのかが大変重要なのであり、環境の変化そのものはあまり大きな問題ではないのです。
皆様がそこに問題意識を持ち、自ら考え行動する為の材料に過ぎないといえるでしょう。

全ては因果の結果なのです。
それらのことに気付く必要があります。
他の誰かの責任ではありません。
皆様一人ひとりが責任を負っているのです。
共に手を取り合い、協力して対処してゆく姿勢が求められているのです。
それが叶わない限り、問題の全面解決の見込みは無いでしょう。
先進国といわれる国々だけに問題を押し付けても意味が無いのです。
皆様は地球という一つの生命の中で共に暮らしているのですから。
それらのことについて冷静に考える必要があります。

そこで、先進技術を持つ国の皆様へお願いしたいのでございますが、それらの技術を丸々与えてしまうのでは意味がありませんので、技術を持たない国の方々も共に参加していただき、新たな技術開発を進め、いずれは自立していただけるようにする方法を考え、実践してゆく必要があると思われます。
そうしてゆくことにより、世界の国々の方々がご自身の問題として捉えることが出来るようになり、霊的成長を促す結果となるのです。
物的な面におきましても、皆様の負担が徐々に減り、共通の価値観を持った国が増え、お付き合いしやすくなってゆくのです。
今現在先進国といわれる国の方々が一方的に責任を負うのではなく、世界全体の問題として共通認識が持てるようになれば、平和な状態を保ちやすくなります。
そしてそれは、皆様の幸せへと繋がってゆくのです。
皆様がこれらの事柄について考え、実践する為のきっかけとしてお役に立つことが出来ましたなら幸いでございます。

(2008年1月5日)





このメッセージには、『地球という一つの生命体』という言葉が出てまいります。
かつて、ガイア仮説を唱えたJ・E・ラヴロックも、地球に対して似たような表現を用いていたと記憶しておりますが、ガイア仮説は地上の生物によって地球環境の自己調整能力が機能している――といった意味合いの説であるのに対して、メッセージの内容は『地球そのものが私たち人間同様に霊を宿した存在である――との意味合いが込められているように思います。
つまり、地球にとっての人間(そして地上に存在する全ての生物)は、人間の体内に存在する細菌類(大腸菌など)のような存在である――そのように示唆しているのではないかということです。
しかし、地球そのものが霊を宿しているという表現は、言わば地球の一部と化している私たちにとっては余りピンときません。
そこで、以下のような質問に対して回答を得ました。





メッセージ54への質問に対する回答


[質問]

最近は、地球温暖化の問題に対する世界的な取り組みの必要性が叫ばれておりますが、このメッセージには『環境問題に対して人間が対処出来る範囲の限界』が示されていて、ある意味衝撃を覚えました。
しかし、あくまでも目的は『霊的な成長を促す』ところにあるのでしたら、仮に人間に宿っている間には努力が報われなかったとしても、環境問題と言う人類に取って大きな壁にチャレンジする意義はあると思います。
とはいえ、地球環境の変化が人間に取っての病気の様なもの――といわれても、余りピンとこない方もおられると思います。
そこで伺いたいのですが、メッセージには『現在の問題とされている事柄は地球の因果の結果』であるとあり、また『地球という一つの生命体』という表現もあります。
この様な表現から連想するのが、イギリスの科学者J・E・ラヴロック氏の提唱した『ガイア仮説』です。
ただ、ラヴロック氏のガイア仮説は、あくまでも地球上の環境を一定の状態に保つ為に様々な生物が一定の役割を果たしている――といった、言わば物的側面の観測に基づいた説でありますが、『地球の因果』とか『地球という生命体』とのメッセージの表現からは、地球も人間同様に霊が物的身体をまとっているとのニュアンスが伺えます。
私たち人間にとって、地球は巨大な岩石の塊という認識が一般的だと思うのですが、地球が私たちと同様の生命体であると言う点について、もう少し詳しく説明をしていただけますか。


[回答]

詳しくご説明しても、まだ理解することが難しいと思われますので、簡単にご説明させていただきます。

皆様の身体を例にして考えることが出来ると思います。
皆様の身体の表面には沢山の細菌が暮らしております。
悪さをするものもいれば、良い働きをするものもおります。
それらの細菌の働きで肌が美しく保たれたり、ひどく荒れてしまったりと、皆様にいろいろ影響を与えているのです。
それらの細菌は、皆様を一つの生命体として意識して暮らしているわけではなく、彼らに取りましては皆様にとっての地球と同じで、ただ大きな台地が広がっているようにしか見えないでしょう。
皆様と同じように、霊的観点から物事を考えることが出来れば、環境が荒らされることで悩み、改善しようと努力するのでしょうが、それらの細菌は生存本能のみにより活動しておりますので、大地が荒れようが何だろうが、ただ己の欲望のままに突き進むでしょう。
皆様の身体が朽ち果てる時、それらの細菌は共に滅びるか、また別の世界(他の動物や人間)へと移動して行くのです。
皆様がなさっておられます除菌でございますが、あれは細菌にとりましたら自然災害に他ならず、皆様が暮らしております地上界における洪水や山火事、地震、流行病などと大差ないのです。

厳密に申し上げれば違うのではございますが、大体このようなものだとご理解いただければ宜しいかと思います。

(2008年1月8日)





地球温暖化を始めとした環境問題は、私たちにとって長期的にかなり深刻な問題としてクローズアップされております。
そんなタイムリーな話題でしたので、出来る限り詳しい説明を求めたのですが、上記のように現時点では大まかな説明に留めておこう――という霊界の意向のようです。
きっと今の私たちの霊的知識に対する理解力では、説明を受けても理解は難しいとの判断が働いていると思います。
管理人としては個人的に残念ではありますが、今後霊界よりさらに詳細な説明を受けられるように、霊的知識の習得と実践に日々研鑽したいと思います。





メッセージ54-2(メッセージ54の補足として届きました)


ここからは絶滅危惧種といわれる生物につきましてお話したいと思います。

絶滅が危ぶまれております生物についてでございますが、これらもまた人間が手を下したからといって滅びてしまうようなものではなく、因果の結果といえるのです。
因果と申しますのは、全ての事柄に対する結果として働くもので、善悪や優劣などで捉えることは出来ませんのでそこのところを良くご理解いただきたいと思います。

霊体の成熟度合いに応じ、成長に必要と思われる肉体と環境が用意されているのですから、絶滅してしまうということは、霊的成長の一つの表れであり、この地上界におきましては、その肉体を持って学び成長する必要のある霊がいなくなりましたというサインなのです。
かつてこの地上界において繁栄しておりました恐竜が絶滅したのも、そのような理由からなのです。
この時点で学びきれていない霊に関しましては、別の世界において学ぶことになるのです。
地球も一つの霊を宿した存在ですから、皆様と同じように成長しているのです。
環境が変わり、そこで暮らしてゆける生物が変化するということは、地球自体が霊的成長を遂げている証なのです。
それらのことをよく知らずに、ただ動物保護などと騒いでみても結果が変わることはなく、その肉体で生存する必要が無いとみなされれば絶滅してしまうのです。
とは申しましても、人間が好き勝手をしてよいという訳ではありませんし、そのようなことをすれば因果が生じ、自ら苦難を招く結果となりますので、そこの所を勘違いしないでいただきたいと思います。
他の生命を大切に思い尊重する行為は、大変重要で価値ある考え方ですので、これからもその思いを大切にしていただきたいと思います。

私どもが申し上げたいのは、保護と声高に叫び、他の方々の生活スタイルや文化を無視して自己満足に浸っているようでは、何の意味も無いのですよということなのです。
それはただの欺瞞であり、驕りに他ならないのです。
それらのことに気付く必要があります。

本当に周りの環境や生物のことを考えるのならば、まず全ては同じ法則の下に存在し、同じように因果が働いていることを理解する必要があるのです。
そうでなければ、ただの自己満足で終わってしまうのです。
それらのことは、今までお付き合いいただき、この通信を読まれている皆様ならば容易に理解できることと思います。
今までお伝えしてきたことは、全ての生命について言えることだからです。
自ら考え決断する思考力を持つ存在は、地上界においては皆様をのぞいてはほとんど存在しておりませんから、メッセージにつきましては皆様を対象に送らせていただいておりますが、皆様を取り巻いております法則は、全ての生命に当てはまるのです。
他の生物は生存本能によって考え行動しておりますが、皆様は、生存の為だけではなく霊的な部分に関して考える思考力を持っておリます。
そこが違いとなって表れております。
皆様と共にある動物は皆様の影響を受けやすいのでより霊的成長をしやすく、生存本能のみではなく霊的なものの見方が出来るようになりますので、是非共に暮らしてみることをお勧めいたします。
無闇に保護を訴えるよりは、双方にとりまして余程霊的成長に繋がる行為といえるでしょう。
これらのことをご理解いただいた上で、今後の環境について考えてみていただきたいと思います。

(2008年1月5日)





これは特に動物愛護団体や、特定の生物の保護を強力に推進する方々にとっては、ご自身の活動を真っ向から否定するようなメッセージかもしれません。
しかし、ここではいわゆる物的観点や人間的な感情のみによる判断ではなく、そういった立場にある動物の『霊的成長』という観点からの指摘となっておりますので、動物にとっての『霊的成長とはどのようなものなのか?』ということについて、考えるきっかけにしていただければと思います。
その点について、メッセージをご覧の皆様に理解を深めていただく参考になると考えましたので、以下のような質問に対して回答を得ました。





メッセージ54-2を受けた質問への回答


[質問]

メッセージには、人間が動物と生活を共にすることによって、動物の霊的成長が促進されるとの指摘があります。
最近はペットを家族同然に可愛がる方もかなりおられる様ですが、溺愛しない程度にペットを可愛がるのは、飼い主にとってもペットにとっても良い環境であると言えそうです。
一方、絶滅してしまう生物がいるのは因果の結果であるので、人間が動物保護に取り組んでも防ぎようがない――と、動物愛護に熱心な方々に対して、少々厳しい指摘もされております。
特に、絶滅する生物がいるのは霊的成長が促されている証だ――とする指摘は、今までの人間の認識を根底から覆す重要な視点であると思います。
そこで伺いたいのですが、私たち人間の視点から動物のライフスタイルを見ると、主に以下の四種類に大別出来ると思います。
第一が『人間の手の及ばない自然の中で、自らの力のみを頼りに生きる野生動物』、第二が『生まれてから死ぬまで人間と共に暮らすペットなど』、第三が『野生を残しつつも人間と一定の距離を保って生存する、動物園の動物や野良犬、野良猫など』、第四が『人間が食用として育てる家畜』です。
これらの動物について、霊的な視点から見たそれぞれの立場による違いについて、詳しく教えていただけますか。
特に、家畜の存在――人間が食料とする為に育てられる動物については、複雑な印象を持たれる方もおられるのではないかと思いますが、家畜と家畜を育てる人間についての霊的な視点からみた意味合いについて、説明をお願いします。


[回答]

野生動物についてでございますが、彼らは純粋に物的肉体に宿り、限りある命の中で生き、そして朽ちてゆくという基本的なことを学んでおります。
それがどのようなことなのかを何回も経験してゆく中で、多くの学びを得ているのです。
野性の本能で生きると言っても、種類によってその生態は様々です。
人間に近い仕草や行動、習慣などを持った種の動物は、より霊的に成熟しているといえるでしょう。
仲間との争いを好まず、他の手段で決着をつける方法などを知っている動物などはかなり成長しているといえますね。

ペットについてでございますが、彼らは皆様と共に生き、物的本能のみに頼るのではなく霊的意識に目覚め、後に人間として誕生する為の訓練をしているのです。
だからこそ、皆様と共に仲良く暮らしてゆけるだけの素養が備わっているのです。
彼らは痛みや苦しみ、悲しみ、喜びや楽しみといった感覚をより人間的な形で備えております。
皆様と接することで、より強くそれらの感覚を発現してゆくのです。
それらの経験を通して、自分以外の存在を思いやる気持ちを学んでいるのです。
動物園などで飼育されております動物たちも同様のことが言えるのですが、ペットは皆様の家族的存在なのに対し、動物園の動物たちは家族とまでは言えないので、その分皆様の影響を受ける度合いは少なくなるでしょう。
野良犬や野良猫については、人間の接し方で大分変わってしまいますが、皆に可愛がられ愛されている存在であれば、ペットとして暮らしている動物に近い感覚を得られますし、苛められたり苛酷な環境で暮らすことになれば野生動物に近い感覚になります。

家畜についてでございますが、彼らは今まさに肉体を持ったが故の苦しみや痛みを学んでおります。
人間と接しているので、ある程度霊性に影響を受けます。
飼育されている間は動物園の動物と似たような環境にありますから、それなりに霊的な成長を遂げるのですが、皆様が食する為に命を失いますので、そこで苦しみを味わい、それがどういう意味を持つのかを学んでおります。
霊的観点から物事を考えられるようになった時に、苦しみをもって自身の命の尊さを学ぶ経験を積んでいるのです。
人間として生まれ、より霊的に成長する為には避けては通れない大変重要な経験なのです。

飼育し食す側の皆様は、今他の命をいただくことで体を維持しております。
霊が宿っている存在は、何も動物だけではなく、植物にも宿っており、皆様と等しく命を持った存在といえるでしょう。
ですから、植物は良くて動物は駄目ということはなく、他の生命をいただいて生きてゆくことがどのようなものなのかを、今皆様は学んでいる最中なのです。
これらのことを本当に理解出来るようになれば、ご自身の命を粗末にすることは無くなりますし、感謝する気持ちが生まれてまいります。
皆様が本当の意味で全ての生命の尊さを理解出来るようになった時、初めて他の命を食さなくても生きてゆける方法が明らかになるのです。
そして、ご自身以外の全ての生命に対し、愛する気持ちを持てるようになってゆくのです。
まだそこまで達するには、皆様は知らないことが沢山ございますので、これからも多くの経験を通して学んでゆくことになるでしょう。
今しばらくは、他の生命をいただきながら体を維持していることを通じて、まずご自身の命を大切にしてゆくことが重要であることに気付く必要があるでしょう。
ご自身の命を大切にしていない方が大勢おられるので、そこから始める必要があります。
ご自身を粗末に扱う方は周りの命も粗末に扱うのですから。
ただ食さなくなるだけでは意味が無いのです。
本当の意味で命の尊さを理解する必要があるのです。
それは、今皆様が経験していることを通してしか学ぶことが出来ないのです。

(2008年1月8日)





動物に関してのメッセージでしたので、管理人がかねてから疑問に思っていた点について、思い切って質問してみました。
ある意味私も驚きましたが、この[回答]をご覧の皆さまも同様に感じておられるのではないでしょうか。
家畜が人間の食糧となるのは、家畜に宿る霊にとっては『人間として生まれ、より霊的に成長する為には避けては通れない大変重要な経験』なのだそうです。
一方の人間にとっても、『植物は良くて動物は駄目ということはなく、他の生命をいただいて生きてゆくことがどのようなものなのかを、今皆様は学んでいる最中』なのだそうです。
これまでに地上界に下ろされた霊的知識――たとえば『シルバーバーチの霊訓』を例に取ると、どちらかといえば肉食や動物の殺害を戒める教訓が大半を占めているようです。
特に、医療分野等における動物実験には、強烈な嫌悪感を示していたといってもよいほどです。
しかし、このメッセージ、および質問への回答をお読みいただくと、単純にシルバーバーチの言葉のように割り切ってしまってよいのかどうか、疑問が残ります。
どうかこの点については、メッセージをご覧の皆さまにもぜひ一緒に考えていただきたいと思います。
メッセージの中で説明が尽くされていない点がありましたら、メールフォームよりご質問をいただければ、霊界と相談の上対応させていただきます。





後日霊界より、『シルバーバーチの霊訓』についての言及に対して、一見してこのメッセージとシルバーバーチの間には内容的な食い違いがあるように見えますが、「通信(シルバーバーチの霊訓)が送られてきた当時の時代背景や、当時は命に対する尊さを強く訴える必要性があったこと」など、地上界の状況の変化に応じて表現の仕方を変えているだけで、その根本にある真理の部分に違いはないことを付け加えるように――との指摘を受けました。
以前のメッセージでも触れましたが、シルバーバーチの霊訓が地上界に降ろされた当時より、霊的知識に対する人間の理解が深まっており、以前より詳細な霊的知識を降ろしても理解可能である――との霊界側の判断に基づいていることを抑えておいていただきたいと思います。
人間は(霊的知識の)小学校課程を修了し、中学校向けの新たな教科書(霊界通信)が必要になったのです。

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