2011年6月2日木曜日

大東亜戦争を経験して(東条英機と名乗る霊からのメッセージ1)

私の刑が執行されてから、もう六十年の時が流れました。
処刑台に登ったときの感覚は今でもよく覚えております。
『ここで、抵抗すれば後の世に禍根を残す事になるだろう。日本国が後に平和を取り戻し発展するためであれば、喜んでこの身を捧げようではないか』と覚悟を決め、心穏やかに逝くつもりでございましたが、刑が執行される時間が近付くにつれ恐ろしさが込上げ、どのように鎮めようと思っても抑えることが難しく、面に出す事は極力無いようにと努めておりましたが、心の中では葛藤が続いておりました。
処刑台へと移動する際などは体中が細かく震え、死への恐怖と後の日本国及び愛する者達に対する想いの間で揺れ動いておりました。
最期の瞬間までそれらの葛藤は続いていたのです。
死後の世界を知らない私にとりましては、『御仏の御許に行けるのだ』といくら言い聞かせてみても、実際にこの目で確かめるまでは半信半疑だったのです。
刑が執行されてから息を引き取るまで、皆、十分程時間がかかったようですが、実のことを申し上げますと、床が抜け首が絞まった瞬間に、皆、気を失っていたのです。
霊魂と身体が完全に分断されるまでの時間が十分程だったのでしょうね。
ですから、痛みや苦しみを感じる事は殆どなかったのです。
肉体から離れ、周りの様子を窺いますと、先に逝かれた大勢の同胞の方々が迎えに来ておりました。
そして、『御勤め、お疲れ様でございました』と、皆で敬礼し出迎えてくれたのでした。
これは何よりも嬉しい瞬間でございました。
戦争を止めることは叶わず敗北、日本国民に甚大なる被害をもたらしてしまったのも、多くの兵士を死なせてしまったのも、時代の流れとは申しましても、私の力が及ばなかった側面も多くあるのですが、彼らは私の苦しい胸のうちを察してくれていたのです。
そして私は、『これからも日本国のためにあろう。そして、霊魂となってもこの力を惜しみなく注ごう』と、固く決意したのでした。
それから六十年が過ぎ、充分に癒され、発展を遂げた今の日本国を拝見しておりますと、この国の礎として果てることが出来たことをとても嬉しく思います。
そして今、事実を客観的に見つめ直し、戦後の日本国から世界の中の日本国へと変化を遂げる時期が近づいております。
その為には、怒りではなく許しの精神で諸外国に向き合う必要があるのです。
その為には皆様日本国民が、近代日本史に対して冷静に見つめ直し、同じ認識を共有される必要があります。
そのようになれば、諸外国に対し大々的な宣伝をせずとも自然と浸透してゆくものです。
短気を起こしては、相手の思う壺、日本国は滅びに向かうでしょう。
許し協調してゆく精神は、己も相手も同時に生かしてゆくことが出来るのです。
私達の生きた時代は、まだ近代化して間もなく、諸外国との付き合いも手探りの状態でしたが、今の日本国は充分に成熟し、諸外国と協調しながら生きてゆけるだけの力と経験と知識を蓄えております。
後は、それらのものを皆様が『どのように活かしてゆくか?』という問題なのです。

後、これだけは是非伝えておきたいのですが、方法は違えど、皆、日本国を想い、故郷や家族、友など、それぞれに愛するものたちを守るべく戦いに身を置いていたという事を忘れないでいただきたいと思うのです。
良かれと思って成した事ではありましたが、無知ゆえに視野が狭く、周りが見えていなかったのです。
このことは、身体を離れ、客観的に物事を観察できるようになってみれば、皆様にもよくお分かりになることでしょう。

戦争はあくまでも、戦っている双方の責任であり、どちらか一国が断罪されるようなものではないのです。
それが戦争なのです。
ですが、現実には皆、己の正義のためと戦いに身を投じてしまいがちです。
立場が違えば正義も逆転するものです。
これではいつまでたっても、憎しみが増すばかりで、和平の道は開かれないでしょう。
だからこそ、日本国の皆様には、戦いの道ではなく、和平の道へと進んでいただきたいと思うのです。
多くの悲しみを乗り越え、驚異的な速さで焼け野原から復興を遂げ、六十数年間戦争をすることなく今までを過ごしてきたのですから。
今の世界情勢を見れば、確かに安全であるとは言いがたいため、ある程度の備えは仕方のない決断なのでしょうが、それらの力を行使する事は即ち、行動に伴う責任が生じるということなのです。
今の日本国は科学も進歩し、優秀な機器類も多く生み出されておりますから、私どもの時代よりも一人ひとりが背負う責任は大きなものとなるでしょう。
それらのことも、冷静に考えてみるのがよろしいでしょう。
今はまだ、怒りに感情が支配されている方も大勢おられますが、時が経ち少し落ち着いてきた頃に、改めてこれらのことについて深く考えてみていただきたいと思います。
私のような思いをされる方が後の世に出ることはとても悲しい事ですから。

このような形で、日本国の皆様に私の言葉をお伝えできた事に深く感謝しております。
これからも、この国の発展と平和のために力を注いでゆく所存でございます。
お付き合いくださり、まことにありがとうございました。

(2008年3月9日)





このメッセージを受けて(霊媒Mのコメント)

これらのメッセージを霊媒としての能力もまだ拙い私が受け止め、こうして文章として形に出来ました事をとても嬉しく思います。
尚、メッセージは言葉としてではなくイメージで送られてくるため、通信霊ご自身が伝えてくるニュアンスを私なりに表現しておりますので、生前のご本人とは違う言葉使いをしていたり、雰囲気が違うように感じたりする事もあるかと思われますが、私の知識の限界であり、的確な表現が出来ていない箇所がありますことをどうかご了承くださいませ。

(2008年3月9日)





このメッセージについて、若干の補足説明を加えておきたいと思います。
この日、私たち(霊媒Mと管理人)は連れ立って、とある場所を訪れました。
それは『南京の真実』という映画の上映会だったのですが、その映画を拝見した日の夜に、霊媒Mが東条英機と名乗る霊から受けた通信をまとめたのが、こちらのメッセージです。
実を申しますと、霊媒Mと東条英機を名乗る霊との接触はこれが初めてではありません。
やはり今年(2008年)の元日に、とある理由から私たちは靖国神社を参拝したのですが、その数日前にも霊媒Mは東条英機と名乗る霊からの通信を受けております。
ですが、その時と比べれば、今回はある程度まとまった形で通信を受け取ることが出来ました。
メッセージにもありますが、日本国の皆さまにこのメッセージをご覧いただくのは東条と名乗る霊自身の意向であり、また通信を受けた私たちも皆さまにごらんいただきたいと思いました。
ただし、今回のメッセージについては一つ注意していただきたい点がございます。
既に【霊界より、このメッセージを読まれる方へのお願い】を始めとして、霊が自ら名乗ることによる弊害について言及してまいりましたが、その基本的な姿勢はこのメッセージについても同様であります。
霊が名乗るままに『東条英機と名乗る霊からのメッセージ』と記しておりますが、私たちは通信の送り主である霊が東条英機の霊であるかどうかについて追及するつもりはありませんし、仮にその霊が東条英機を騙る別の霊であったとしても、一向に構わないという立場です。
以前、霊界通信におけるさにわの重要性について触れましたが、本来は通信の送り主が誰かということよりも送られてきた通信の内容が重視されるべきであるにもかかわらず、送り主が誰かといった点に惑わされてしまうケースが少なくない様に見受けられます。
ですから、霊が名乗った名前に惑わされることなく、通信の内容を十分に吟味した上で、読者の皆さまがそれぞれに判断なさればよろしいかと思います。
ちなみに私の個人的な印象を申し上げますと、一般的には東条英機という人物に対する世間の評価には厳しいものがあるように思いますが、以前『東條英機宣誓供述書』を読んだ時の感想は、「東条英機という人は時の宰相でそれなりの責任はあるが、少々悪く言われ過ぎだ」というものでした。
実際に、あの時代に誰が国家の舵取りを任されようと、殆ど何も出来ずに東条と同じ道を辿ったことでしょう。
少なくとも、東京裁判の宣誓供述書に垣間見る東条は、現代を生きる日本国民よりも余程日本の事を考えていたということは言えると思います。
そして、東条は自分自身が時の宰相であったという責任については明確に認識し、個人的には納得のいかない点もあっただろうけれども、天下の大罪人との立場を甘んじて受け入れたのです。
その東条が死後六十年を経るとどの様な心境の変化があるのかと想像しますと、メッセージの送り主が東条英機であっても余り違和感は無いように思いますが、皆様はどのように思われますか。

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