2011年6月4日土曜日

個人の存在意義 (東条英機と名乗る霊からのメッセージ補足)

皆様はどうやら、個人の影響力を軽視する傾向にあるようですね。
『一人だけでは余りにも無力である』と、考える方が大勢おられるようです。
ですが本当にそうなのでしょうか?
街も国も、この世界に存在するあらゆる団体は皆、個人の集合体であり、個々の人々の働きがあるからこそ成り立っているのですよ。
何のために皆様は集団で国家を築いてきたのでしょうか?
それは個人の存在を否定するようなものではなく、秩序を保ち安全に暮らしてゆけるようにするためではないのでしょうか?
むしろ個人の権限を尊重するために、ある程度の枠組みを作り、その中で暮らしているのではないのでしょうか?
それがいつの間にか、団体を守る為に個人をなおざりにしている傾向は確かに見受けられますが、そうなってしまったのは皆様が未熟なために、自身で作り上げたシステムを上手く扱う事が出来ずに振り回されてしまっているからなのですよ。
これは大変重要な事なのでよく覚えておいていただきたいのですが、団体は個人がいるからこそ成り立ち、個人もまた団体の中にあるからこそ安心して暮らしてゆけるのです。
どちらが主でも僕でもなく、互いに必要としているからこそ、そのシステムが存在しているのです。
このように考えると、皆様個人の行動や言動は国にとって大きな影響力があるのは当然のことなのですよ。
皆様は国を運営している一員なのですから、その皆様が何を思い何を目指して生きるのかは、国家にとっても大変重要な問題なのです。
皆様の考え方一つで国を繁栄させることもできれば、滅亡させる事もできるくらいの影響力があるのです。
最初に働きかけたのが例え一人であったとしても、そこに共感する人達が集まり大きな力となれば、どのような事でも可能なのですから。
個人の力が集まり団体が出来るのですから、その事を考えれば個人の力は無限大ともいえるのです。
団体になっても個人が消滅してしまうのではなく、むしろ個人が互いを尊重しながら、より大きな力を生むという相乗効果があるのです。
何かの活動を始める時、必ず発案者がいるはずです。
その時点では個人の力は確かに小さいかもしれませんが、共感する人が現れる事で団体に発展し、個人の力が寄り集まって大きな力へと成長するのです。
もしかしたら、あなたの働きかけが国を動かすほどの活動へと発展するかもしれない事を考えれば、個人が持つ影響力は未知数といえるのです。

(2008年3月19日)





このメッセージは東条英機と名乗る霊から直接送られて来た通信ではないのですが、「先に送られた東条英機と名乗る霊からのメッセージの補足として付け加える様に」との霊界側の指示がありましたので、こちらでの公開となります。
一見気がつき難い『個人が社会に及ぼす影響力の大きさ』については、実際に経験を通さなくてはなかなか理解に苦しむ側面があると思います。
しかし、それまでは世間の大半の人々が知る由もなかった、とある個人の言動や行動が、やり方次第で世間の注目と関心を浴び、いずれ社会を動かす原動力となりうるのです。
プライベートな事情により詳細は申し上げられませんが、かつて私もその様な活動に携わる一員として、実際に私たちの起こした些細なアクションの積み重ねが、次第に国家/政府の方針に影響を与える過程の一部始終を垣間見、また実際に働きかけたと言う貴重な体験があります。
ですから、個人が大衆に与える影響力の大きさは侮れないと、自らの体験を通して実感しているのですが、現実問題としてその様な経験を積まれた方は限られるでしょうから、上記の認識に対して皆様の共感と理解を得るのは難しいかも知れません。
ですが、たとえば普段のご自分の身の回りで、ご家庭で、学校で、職場で、または知人との集まりの場で、ご自身の意見や働きかけが周囲の方々の心を動かした——その様な体験はありませんでしょうか?
世間や社会となりますと、影響力を及ぼす対象の人数が桁違いに増えますが、個人が周囲の方々へ影響を及ぼす基本的な仕組みには共通性があります。
ただ、その問題の影響を受ける関係者が家族なのか、ご近所さんなのか、学校の同級生なのか、職場の同僚なのか、あるいは国家レベルなのかの違いでしかありません。
ですから、社会や国家の枠組みで解決しなくてはならない大きな問題に対しても、単に「政府/役人が悪い」と安易な責任転嫁と愚痴に逃避するのではなく、ご自身の問題として考え、解決策を模索する姿勢を心がけていただければと思います。
「私たちの国は私たちが作り上げる」という国民一人ひとりの主体的な姿勢を見せることこそが、私たちの明日をより暮らしやすい環境へ導く糧となるのですから。

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